9.阿蘇の光と風よ、いのちよ、ありがとう。 2019/05/21 (火)

 平成19年5月、
「この世は、遊びをせんとて生まれける。
 53歳、やっと思い煩うことなく、
 明日死んでもいいと思えるようになりました。
 綾町はいいところです。」(綾町にて)


平成20年12月、
「答えがない問いを探し続ける、この瞬間こそ楽しい。
 答えが分かったら、あら、なんだ、ということ。
 そうか、答えがないから楽しいのかな。
 こうやって、私は今日も、存在の不思議を思って写真を撮り続けています。
 そして、心から笑って、死んでいけます。明日にでも。」



夫が、53歳の時に書いたメモです。
年表を参照しますと、夫が52歳の時に、私の弟(3月逝去)と母(5月逝去)が相次いで亡くなりました。
二人の死は余りにも突然で強いショックを受け、私も夫も死についてより一層真剣に考えるようになりました。
二人の死を契機として、生きているうちにやりたいことは何でもして、悔いのない人生を送ろうと決意しました。


夫は写真集を出版して自分の「生きた証」を残したいという気持ちがある反面、
自分のような素人が撮影した写真を出版することを躊躇する気持ちがありました。
数年間に亘りふたつの気持ちがせめぎ合い、つねに心の中で葛藤していました。


私は母と弟の死を経験して、夫に一刻も早く写真集を出版するよう強く勧めました。
夫の体調が急変した時のことを考えると、私が写真集を編集するのは不可能だからです。
夫が生きているうちに自分で写真を選んで、満足の行くように編集して欲しいと願いました。
私は、毎日根気よく説得を続けて、夫はやっと写真集を出版する決意をしました。


私は夫に、すべての写真に言葉を添えるように提案しました。
言葉を添えることで、夫の思いがより強く伝わると考えたからです。
夫は「写真に言葉を添えるのは邪道だ。」と拒絶しました。
しかし、私が根気よく説得を続けたことと、実際に言葉を考える作業を行ってみると
とても楽しかったので、結局、すべての写真に言葉を添えることになりました。


毎日、仕事を終えてから夕食を早目に済ませて、すぐに言葉を考える作業に取りかかりました。
写真は100点ありますが、すぐに言葉が思い浮かぶ写真もあれば、
なかなか思いつかないものもあり、かなり苦労しました。
言葉が出来上がると、すぐに私がパソコンに入力していました。
リビングには写真集用の写真が散乱していて、あといくつ言葉を考えないといけないのかを、
紙に大きく数字を書いてテレビに貼って、連日、深夜まで必死で言葉を考えていました。


私も少しでも夫に協力したいと思って、本屋さんで美しい表現や言葉をチェックしてノートに書き留めたりました。
私があまり熱心にやり過ぎると、夫は「お前が考えんでもいい!」と怒り出したりすることもありました。
でも、翌日私が書き綴った言葉が採用されていることもあり、そんな時はちょっと嬉しく思ったりもしました。
とにかく、写真集を制作していた時は、物凄く集中していて充実していて楽しかったです。


写真集の一番の最後のページの言葉は、本当は早くに出来ていたようですが、
私に原稿を渡す時に、夫は「はい、これが最後だよ。」と言いました。
私はいつものようにすぐに入力を始めようとしましたが、そこに書かれている言葉を見た途端、
大粒の涙がポロポロと流れて、一文字も入力できませんでした。
何度涙を拭っても、涙が次々に溢れ出して、原稿の文字が涙で滲んで読めませんでした。
泣きながら長時間かけてやっと入力し終えました。
夫に出来上がった最終ページの原稿を渡すと、夫も静かに泣いていました。
大仕事を見事遣り遂げた達成感と、もうこれで遣り残したことはないという満足感、
そして一抹の寂しさを感じての涙だったのかもしれません。


夫は、これまでの人生で出会った人すべてに「さよなら」と、「ありがとう」を伝えていると感じました。
今、あらためて読み返しても涙が込み上げてきます。
写真集の最後のページは、下記のようになっていました。



spirits  of  Aso


中岳火口縁の巨大な噴石。


これまでも、そしてこれからも、人間の時間(とき)を超えて、悠久の刻(とき)をきざむ。


僅かな時間だったが、何度も会い、会話した。


阿蘇の光と風よ、いのちよ、ありがとう。