8.写真の方法 2019/05/20 (月)

平成19年7月、「天才アラーキー 写真の方法」が、
アラーキーらしい話しことば調で下記のように書かれています。


時間は消えて行っちゃうものなのよ。
消えて行くもの同士が重なり合って、そんでひとつの現在っつのがあるわけ。
そこが一番官能的だし、感じるんだ。
生と死を同時に感じる時間。


フレーミングなんかより、コトとか現象を優先しなくちゃ、
フレーミングをきっちりとするのは枠に入れちゃうことでしょ。
もっと自由にっていう感じ。
要するにいい加減でいいんだよ。


弱点がいっぱいあることによって、逆に新しいモノが生まれることもあんのよ。
いい加減なことがなくっちゃ面白くない。
いい加減で分からないところが芸術家なんだから~。
俺の場合は、いいな~と思ったらシャッターを押すように出していくの、多作。


ずっと撮り続けるということなんだな。
写真は私の人生なんだからさ。
生きること、生、それと死、生と死に対する愛、それが写真なんですよ。

ファインー覗いて、シャッター音が連続するでしょ、
そうすっと、その音で何となく無に近付く感じがするの。
シャッターを切り続けているとね、その音が止まるのよ。
それは死に近い瞬間だと思うんだけど、その生と死の間を行ったり来たりするのが写真でしょ。


写真というコトの中には嘘と誠、虚実が混ざって行っているんだね。
写真は現実を見せられない、写真は現実に触発された何かなんだな。



アラーキーの写真に対する考え方を読んでいると、ハッとさせられます。
特に、シャッターを切り続けていると「無」になり、それは「死に近い瞬間」だと述べています。
数年前、夫に同行して穂高に行ったことがありました。
この時は秋の紅葉を楽しむのが目的で、本格的な登山はしませんでした。
車で宿の近くにある山の頂上付近まで行き、夫が三脚をセットして写真を撮影する準備をしました。


厚い雲がかかって視界が悪く、写真撮影は無理だろうと諦めていました。
すると、突然、雲がサアーと流れて行き、まるで「さあ、今すぐに写真を撮りなさい。」
と何か目には見えない大きな力が囁いているかのように、空が美しく晴れ渡りました。
夫は感動して、夢中で連写していました。
夫が夢中で写真を撮影する様子を近くで見ていましたら、シャッターを切る瞬間、息を止めているのが分かりました。
シャッターを切り終えると苦しそうに息をしているので、とても驚きました。
晴れ間が見えたのは、本当に一瞬のことでした。
夫は、旅の目的は果たせたとばかりに大満足していました。


写真は一瞬の出会いと言いますが、まさしくその言葉を実感した瞬間でした。
自然の不思議な力に魅せられ、心が大きく動く瞬間を目撃して、
夫が趣味として写真を選択したことは、間違ってはいなかったと思いました。


夫が撮った写真は、夫の心象風景でもあります。
私は夫が撮影した写真を眺めて、何を、どんなふうに感じ取ったのだろうと、いつも想像します。


写真ブログに言葉を添える入力作業は、私の仕事でした。
入力しながらハラハラドキドキしたり、また時には思わず笑ったりしながら入力するのは楽しい時間でした。
写真が、夫が生きるうえで大きな力を授けてくれていたような気がします。