12.燃えて生きる 2019/06/04 (火)

平成24年4月、「人を動かす人になるために知っておくべきこと」(ジョン・C.マクスウエル)


・自分の得意分野に精通することで、存在感を発揮して行く。
 カリスマ性のある人の周りでは、ワクワクするようなことが起こっている。みんな「ワクワクしているか」
 ワクワク感を伝える。希望を与える。
・自分を信じ、相手を信じる。仕事を任せる。労いの言葉をかける。相手の立場に立つ。理解して話す。
 相手を大切な存在として扱え。挑戦して行くのが、遣り甲斐であり、楽しみ。
・使命感、情熱、気概
・伝えるべきことは、短く簡潔に。ズバリ結論から入り、次にストーリーで納得させ、 最後にもう1回結論。
・リーダーの仕事は「決断」←良心
・人間関係ー誰に対しても誠実であれ、敏感に迅速に対応せよ、問題から逃げずに解決に集中せよ。
・自分が動けば、相手も動き出す。
・遊び心、ウイットとユーモア、発想力~アイデア
・相手を信じて、その思いを伝えること。
・自分を信じ(自分の存在を肯定する)、人を信じ、この世界を信じること。
 (どんな人もこの世界で「果たすべき役目」を持った尊い存在だ。)
・マイナス要因を含めた現状を受け入れ、折り合って行けるようになる。
・人生は冒険するか、空虚に過ごすのかの二つに一つなのです(ヘレンケラー)。
・自分と他人を比べるのもやめる。自分の得意なことを見つけて、その分野のプロフェッショナルになる。
・「天命」を自覚した人は強い。大義に尽くす。
・ヴィジョンを明確にして、問題解決に当たれ。
・伝えたいことを、分かりやすく。
・危機は、見方を変えればチャンス。変化のきっかけにすればよい。あきらめるな。
・プレッシャーや誘惑に晒されるのは、人の上に立つ人間の宿命。
 大切なのは、欠点や弱さを自覚し、向き合っていくこと。
 人として正しい生き方は何かを考え、それを基準に生きること。
・伝える=心に届く
・伝えるべきことは、短く、簡潔に。
・批判はつきものだ。笑い飛ばす余裕。



 平成24年というと、弁護士会の会長選挙があり、夫が会長に就任した年です。
夫が弁護士会の会長になるまでには、これまで誰も経験をしたことがないようなことが次々に起こりました。
まずは、派閥内において選挙が行われました。
通常、派閥内では選挙をしないで、話し合いをしたうえで円満に候補者が決定します。
派閥内での選挙は、異例中の異例といえる大事件でした。
次に、本選挙で再び同じ派閥の先生と2度目の選挙をすることとなりました。
しかも、ふたりは元々師弟関係にあったので、夫の胸中はとても複雑でした。
私も毎日胸が痛み、心を鎮めるために加藤神社に頻繁にお参りに行っていました。
そのような特異な経緯で、2度の選挙に勝利して会長に就任したので、
夫のやる気は、並々ならぬものがありました。
夫は、命懸けで会長職を遣り遂げると決意していました。


 「人を動かす人になるために知っておくべきこと」を読むと、本に書かれていることを参考にして、
夫が弁護士会のリーダーとして、どのような心構えでいたのかが分かります。
夫は会長に決まった時から、全力で疾走していました。
あまりにも熱心に取組むので、任期の途中で体調を大きく崩して、
みなさんに迷惑を掛けることになりはしないだろうかと随分心配しました。
夫は強いリーダーシップを発揮し、執行部や弁護士会館の事務スタッフなどに対しても、
細やかな気配りを欠かしませんでした。懇親会を定期的に開催したり、
お菓子の差し入れなどの気遣いをこまめにして、チームワークをとても大切にしていました。
夫を支えて下さる多くの方々のお陰で、複雑な諸問題にもひとつひとつ丁寧に取組むことが出来ました。
人の和の大切さや支援して下さる方々のご恩を、いつも有難く感じながら過ごしていました。


 夫が特に力を入れて取り組んだことのひとつとして、弁護士会を市民に親しみやすいイメージにするために、
ユーモアがありインパクトのあるテレビコマーシャルを制作しました。
また、熊日新聞に弁護士会の広告を定期的に掲載したりしました。
弁護士の中には、テレビコマーシャルが弁護士の需要に直結していないとして、データー分析をして
目先の利益を最優先して批判する人もいました。
しかし、夫は弁護士を身近な存在として親しみやすいイメージに変えるためには、
目先の利益に捉われることなく、何年にも亘り根気よく気長に取り組まないといけないと言っていました。
そうでないと、弁護士のイメージを変えることは簡単には出来ないと、強く信じていました。
その他にも、弁護士会のホームページを全面的にリニューアルしたり、
知人の記者にお願いをして、熊日新聞の法律相談コーナーを復活させました。
将来を担う弁護士全員のためを思って、志高く、強い使命感を抱いて、積極的に活動していました。
夫は熊本県弁護士会の活動だけでなく、九弁連や日弁連でも積極的に活動していました。
九弁連は同期の弁護士が多かったこともあり、夫は積極的に発言したり活発に活動していました。
懇親会では、ムードメーカー的役割も果たしていたようです。


 夫は会長時代、多忙な中「会長だより」を数回に亘り作成して、弁護士全員へ配布しました。
会長の仕事を弁護士全員に詳細に伝えることで、情報を共有することはとても重要なことだと考え、物凄い情熱を傾けて作成していました。
あれだけ多忙だった日々の中、「会長だより」を詳細な内容で作成するのは、本当に大変な労力と気力と集中力を要しました。
でも、その努力を認めて下さる方もいて、わざわざお手紙を書いて下さった会長経験者の先輩の弁護士もいました。
また、「会長だより」を読むと活動内容がよく分かるし、問題点もよく分かると言って下さる方もいました。
夫は「会長だより」を自分が書くことで、みんなが知っておくべきことや、知らなくてはいけないことを、
弁護士全員が共有すべきだという考えがありました。
「会長だより」を作成していた時の夫の真剣さと緊張感は、今でも忘れることが出来ません。


 夫が会長をしていた時、病状が悪化していたので、主治医からは何度も病気の治療を勧められていました。
極度の緊張感、強いストレス、過労が蓄積して、頻脈も頻繁にありました。
しかし「俺は、今、治療している場合じゃないんだ!」と、まるで自分自身に向かって言い聞かせるかのようにきっぱりと言っていました。
私が「死んじゃうかもしれないよ。」と必死で言うと、いつも決まって「死んでもいい!」と言い返されました。
「死んでもいい!」と覚悟して一生懸命生きている人に対して、私はそれ以上何も言えませんでした。


 今振り返っても、夫はあの時、確かに「生きていた」と言い切れます。
毎日悔いのないように、一日一日、燃え尽きるまで生き切っていました。
あの頃の夫の顔は、いつもキラキラと輝いていました。
本当に充実したいい時間を過ごしていたのです。


 会長の任期を終えてからは、「いつ死んでも悔いがない。」と心から言うようになりました。
自分の持てる力をすべて出し切って、何の悔いもない一年間を過ごしたのです。
今となっては、素晴らしい貴重な時間を与えてもらえたのだとしみじみ思います。